デイゴ咲くdiary

デイゴの花言葉は、夢・活力・生命力。脳出血で半身麻痺のクーの雑記帳

お米の思い出

 

訪問いただき、ありがとうございます😊

2017年( 平成29年 ) 12月に脳幹出血を発症。 退院後は、週1回(半日)通所リハ体操に通ってたけど、2024秋から訪問リハビリに変わりました。まだまだ言う事を聞いてくれない自分の体を持て余しつつも、片麻痺生活8年目。

主な後遺症 ⬇️

麻痺&失調が色々の右麻痺。運動・体幹失調、温冷・痛覚などの感覚麻痺&過敏、疼痛、痺れ・締めつけ・突っ張り、 麻痺側だけの多汗などの自律神経失調、複視、難聴と聴覚過敏などなど🦯🦽

手も足も動くけど、色々な失調と麻痺が影響して、思うようには動いてくれない。手は物を持たせても、目を離すと落とす。鉄の玉でも持つかのように力が入り、油断すると豆腐を握りつぶしてる。( 茹で卵も殻ごと握り潰しました😅)  ペンも、指が内側に握りこんで持っていられないから書けない。外出時は、車イスを利用。 家の中では主に手摺りと杖歩行。装具は、ガッチリ目のサポーターを使用。

 

 

 

米騒動で、平成の米騒動と一緒に思い出すのが、義父母と同居時代の、ご飯の炊き加減に関すること。

( 以前に何度も書いて、重複してると思うけど…)

 

義母は炊飯器が有っても、圧力鍋で炊飯して保温釜に入れてました。芯のない、かなり柔らかめのご飯を食べてました。

私達は、基本的には同じご飯を食べて、時々使っていない炊飯器で炊いてました。

息子1号が幼稚園の時に自分達専用の炊飯器を買い、お米も完全に別にしました。

完全に別にした理由は…

①  完全同居だけど、少しでも家計を別々にしたかった。

②  私達は、粘りの少ない硬めが好き。

旦那は柔らかいご飯に慣れてるけど、出来るなら硬めを食べたいと言ってた。

③  義母のご飯の柔らかさでは、お弁当に適さない。

③が一番の理由でしょうか。

息子1号が幼稚園児の時に、私と義母の前で爆弾発言。😳😱😳

「 ママ、お弁当のご飯が、お団子みたいなの。友達もお団子みたいって言うの。」

確かに。オニギリにしても、ほぐれる感じは皆無。お弁当に少量詰めても、詰め過ぎみたいに塊になる。そのくらい柔らかかったんです。

離乳食後期には良かったんだけどね。

最初から別にしようと考えていたが、義母から良い返事が貰えなかった。今考えると、義父さんがお弁当持ちで朝早くに仕事へ行ってたから、朝から嫁がキッチンをウロウロするのが嫌だったんだと思う。

その後、平成の米騒動だ!出産だと、そのまま過ごしてしまったけど。

このタイミングを逃したら別炊きに出来なくなる、成長したら食べる量も増えるし、何より孫が言った事だからと強行突破しました。

おかげで、赤飯に炊き込みご飯・炒飯・ピラフ・オムライスを作る事が出来るようになりました。

もちろん、お弁当にも入れましたよ。

 

余談ですが…

小学校3年生くらいまでは、ママと呼んでくれてたけど。「 ママ 」が「 お母さん 」に変わり、高校生の頃には「 母さん 」と呼ぶように。

それだけ成長したんだろうけど、小3までサンタも信じてたし、可愛かったんだよなぁ。☺️

ちなみに娘は今、私を「 母 」と呼びます。おねだりの時たまに「母上」になります。

あっ、息子2号は息子1号の真似をして、いつの間にか「母さん」と呼ぶようになりました。

 

それから、もう一つ息子1号お弁当の思い出を。

娘を出産時に、息子1号のお弁当作りを同居の義母にお願いしました。

息子1号が見舞いに来て、退院間近の私に…。

( 息子1号は水疱瘡で、病院に入れなかった。小児科と産科から許可が出たのは、退院間近。)

「 ばあちゃんのお弁当は、茶色ばかり。ママ、いつ帰って来る?あと何回寝たら帰ってくる?」

と、訴えてました。

たぶん、義父と同じ内容のお弁当だったのでしょう。好き嫌いの少ない子だけど、タコさんは無理でも赤いウインナーと卵焼きを入れてもらうために、買って帰るよう旦那に言ったような記憶が。

 

 

今は、切れてるのが売られてるんですね。

 

 

 



最後まで見てくださって、有難うございます。

日記代わりでもあり、個人の感想や思いついた事をそのまま綴っているので、話が纏まってなかったり、重複したりもしますが😅時々でも見て読んでいただけると嬉しいです🥹

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